雲心寺の歴史

History of Unshinji Temple

雲心寺の歴史

はじまり

当寺は元文4年(1739年)に、開山者の近藤武兵衛が身内を亡くし山伏となった後、出会った僧侶を招いて創建されました。
初めは「慈悲山普門寺」と称されていました。
翌年、寺院は東海市から熱田の現在地へ移転しましたが、その一部は東海市に残り、知多新四国霊場の札所として現在も信者を迎えています。

明治以降~現在まで

明治維新まで当寺は檀家を持たず、名古屋の著名人たちの寄進によって運営されていました。
戦後、名古屋市観光協会の後援を受け、大名古屋十二支恵方寺の第七番霊場として、午年の守り本尊である勢至菩薩を安置しました。
また、寺は知恩院の末寺となってから山号を改称しました。

阿弥陀如来像

本尊である阿弥陀如来像は、江戸時代に京都の仏師山本茂祐が作成したもので、実際には2メートル以上の大きさがありますが、座っている姿のため実際より小さく見えます。
この開眼仏は、以前の本尊として胎内仏として現在も祀られています。名古屋の三大仏の一つとされ、興正寺の大日如来像、栄国寺の阿弥陀如来像と並び称されています。